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水無月は水の月

2006年06月16日 22:27

早いもので、6月ももう半ばにさしかかってしまいました。

ところで、6月は陰暦の呼び名で「水無月」と言いますが、
陰暦と日にちがずれているとはいえ、何故この時期が
水の無い月と書くのだろう……?
ちょっと不思議に思ったので、調べてみました。

まず、旧暦の6月は梅雨の明ける時期にあたり、水が
無くなるので水無月と呼ばれる、と至極最もな説が
書いてあるサイトを発見。
ですが、以前から利用している「語源由来辞典」によると、
“「無」は、「の」にあたる連体助詞「な」で、「水の月」という
意味になる。”

と言う意の事が書かれていました(詳しくはこちら)。
うーん、どっちが本当だろう?と国語辞典でも調べてみたところ、
“「な」は格助詞「の」で、水の月の意。田に水を引く月の意
という陰暦六月の異名。”

と書いてありましたので、どうやら後者が国語学的には
正しいとされているようです。

しかし、ここでひとつ疑問に思った事があります。
同じ「無」のつく神無月に関して、日本中の神様が出雲に
集合して居なくなってしまうために「神無月」と言われる、
という話を何度か耳にしたことがあったからです。
6月と10月で「無」の意味が違うのも変な感じだ、という事で
神無月の事も調べてみました。
すると、上記の「言語由来辞典」によると、やはり
“「無」は水無月と同じく、「の」を意味する格助詞「な」である。”
と書かれていました。私が知っていた、神様が居なくなる月という
説は、中世の俗説らしいです(詳しくはこちら)。

なるほど、やっぱり「無」は「の」という事で良いらしい。
他にも「睦月」など色々調べてみましたが、語源がはっきり
しているものはあまりないようでした。
ネットや辞書でぱらぱらと調べただけはありますが、たまには
こういうものを追求してみると、結構楽しいです。

後日追記:他にもこんな解説を見つけました。
色々と突っ込んで調べてみると、益々面白そうです
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今日のあいうえおpart3

2006年06月03日 16:00

ありがと
いま
うまれて
えみ
おめでとう
[ 続きを読む ]

今日のあいうえおPart2

2006年01月23日 01:18

あらぬことを
いろいろと
うたがってみても
えてしてほとんどは
おもいすごし

蒲公英

2005年12月17日 09:35

もう昨日の話ですが、道端で時間潰しをしていた時に
ふと、一輪の蒲公英(たんぽぽ)を見つけました。

そのたんぽぽは、小学校の門の塀とアスファルトの丁度境目の
ほんの小さな割れ目に顔を出しています。

最近、大根がアスファルトを突き破って生えてきた!
というニュースを目にした事があるのですが、
大抵、雑草というものはアスファルトの下からでも、
小さな割れ目を突き破って生えるものだよな~、と
改めて気が付いた気分でした。
彼らは別に根性があったからそうした訳ではなく、
他に生きる術がなかったのでそうしただけでしょう。
そして、彼らの生きる環境を奪う…というか狭くしているのは
他ならぬ人間自身です。私たちの生活の為です。
そう考えると何となく、ど根性ダイコン頑張れとはやし立てている
人間の様が滑稽にも思えてきました。

でも、よく考えると本当は逆なのかもしれません。
そういう因果を分かっているからこそ、健気なダイコンや
道端のたんぽぽを見て感銘を受けるのだと思いました。
他ならぬ私達人間も、実は自らの社会や他の人間同士の
しがらみに縛られ、押さえつけられ、そのアスファルトを
突き破って自らの道を見つけなければならないのだから…。

今はアスファルトの下で芽を出せずに苦しんでいる人も、
一筋の突破口を見つけて、雑草の様に生きて欲しいと思います。

或いは、畢竟、己への啓発を込めて。
願わくは、道端の蒲公英で居られますように。

あいうえお

2005年12月07日 22:15

あれから
いつのまにか
うしろをみてばかり
えいえんに
おいてけぼり


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